私の生まれた所

奥羽山脈の真只中。標高350メートル。 岩手県和賀郡沢内村大字猿橋21地割65番地。 そこは七内川という部落−私の生まれた所−だ。

七内川へ

七内川 東京から想像した場合、まず国道4号線を北上する。 岩手県の真ん中ぐらいまで来ると北上市だ。
そこから107号線を西に向かうと、和賀町という今では北上市に合併された広い町を通り仙人峠に入る。
恐ろしいくらい急な山間を北上川に注ぐ和賀川が流れていて、その急斜面の中腹を削って国道107号線が通っている。当に仙人が霞を食って生きていそうな峠である。

今はかなり道路が整備されて、車で30分もすれば通り抜ける。 すると秋田との県境の湯田町という温泉の町に入る。
名前のとおり町のどこを掘っても温泉が湧き出すものだから調子にのってあっちこっちに温泉を掘りすぎて赤字がかさむ始末である。

湯田町に入ったら右折。
和賀川沿いに県道1号線を盛岡の方向に向かうと湯田町の隣が沢内村である。 和賀川とは沢内村の一番高い山、和賀岳からの流水が源となっている故だろう。

沢内村のほぼ中央まで来たら右折。
和賀川に架かる八年橋という昭和8年に架かった橋を渡って東の沢に入る。
この橋は200メートルぐらいの長い橋で、今でこそ整備されて一本の橋として存在するのだが私が子供の頃は、木の部分とコンクリートの部分など4種類の橋がつながっていて、欄干が無かったり穴があいていたりで子供の私が渡るにはかなり勇気の要る橋だった。

和賀川に注ぐ七内川という川沿いの道を上って3キロメートルほど行った所、七内川の最奥地、そこに高橋一族が住んでいた。

七内川とは川の名前であって部落の名前でもある。 その入り口には新田一族が住んでいて、七内川は新田と高橋の姓の他柳生と熊谷があったが先の2つが中心だった。

高橋一族

西山を見る 高橋一族は大本家の高橋与平を中心に9戸が家を構えて暮らしていた。
家々の間隔は約100メートルぐらい。 東西にまっすぐに伸びた沢あいの部落で、沢幅は当然徐々に狭くなっていくのだが、私の家は奥のほうだったが200メートルぐらいしかない。

一個の家族人数は7,8人である。
もちろん子供から年寄りまでバランスがとれていて、とても平和でにぎやかであった。 私は7人兄弟の真ん中で姉が3人と妹が1人そして2人の弟がいる。子供の頃は祖母も生きていて大家族でワイワイ生きていた。 昭和35年の頃の話である。

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